第2章 ちょっと脱線「原風景」について

 

目次 (1)原風景による地域社会の形成 (2)原風景についてのエピソード

1 原風景による地域社会の形成 

 筆者は、山のぼらー(登山者)が自然からの収奪したものを自然に返済するために、登山者は自然領域における地域社会を形成する役割を担うべきだ、と主張したいと考えています。その考え方を詳述するために、補強概念として「原風景」というアイデアを提示してみたいと思います。ここで筆者がイメージする「原風景」についてを少し述べてみます。例えば普段なにげなく思いうかべる「ふるさと」あるいは「故郷」、「同郷」。これはみな個人の意識の中にある原風景の部分が作用したときに想起されるイメージです。

 原風景とは、日常生活の中で精神的なよりどころとなっているような大切なモノであり、モノをとりまく空間であり、また時間であり、音であり、それを包括する意識であり、そのような意識を持ちながら生活することの出来事(場面)であり、その連続であり、またそれらの総体として捉えるべきもの、と定義的に説明しましょう。

 筆者は、原風景とは人間存在(生活者)それ自体と対峙している人間の精神活動の反映(現象)であることに着目しています。そして、この人間の生活に端を発する原風景を人々が共有しあうとき、原風景を介在とする共同価値観の共有が始まり、共同主観的な認識が成立する、と考えます。人は生活の過程において、生活の本拠たる地域において存在し、日常生活の営為を遂行していますが、一定領域(個の存在を定立する一般者としての「地域」)内においてバラバラな個人が共通の文化・価値観を持って生活するとき、そこに地域社会が成立していると考えます。その際に各人が共有している原風景は、地域におけるシンボルとして人と人を結びつけるきっかけとなり、原理となっているものですから、逆にこの原風景を仕掛けることによって、これをコミュニティ形成にむけて積極的に活用しない手はない、というのが筆者の着想であります。

 

(写真) 小樽運河

 

 

 

 

2 原風景についてのエピソード

 上記の着想を自然領域において置き換えると次のようになります。自然領域において都市生活者(登山者すなわち山のぼらー・滞在者・観光客)は、山間地生活者と共通の価値観と“山に入り山に居ること”に発する原風景を共有しあうことにより、山に関与し自然領域における地域社会の形成に寄与しうるのではないか、山のぼらーは絶えず地域社会の形成に関わることを意識しながら、山と山に生きる人々に接していく必要がある、ということです。

 このような考え方をより理解してもらうために、地域社会形成につながっている原風景に関するエピソードを紹介しましょう。

事例1

 祖母山の竹田市側の登山道で竹田市職労という労働組合が設置した案内板を見つけました。普段、目にする行政や自然保護団体が設置した案内標識とは違って、ミスマッチとも思えるような意外な団体からのアプローチだと感じたわけですが、筆者はそこから自然保護・環境保全への活動の拡大を予感させる都市生活者からのメッセージを受け取ったような印象を持ちました。

 

 

 

 

事例2

 自然環境保護の責務を、自然領域内生活者だけの負担とするのではなく、都市生活者も公平に負担すべきという考え方が一般的になりつつあります。

 1993年(平成5年)11月に環境の保全に関する施策の推進を目的とする環境基本法が制定されて以降、多くの地方公共団体において『環境基本条例』等が制定されました。そのなかで海や山など自然環境に接する観光客など滞在者(山のぼらー等)に対する環境への負荷の低減にむけての責務が規定されています。

 このことは、山のぼらーの自然領域における地域社会形成に寄与するという役割を検証するにあたって、非常に示唆に富んだ内容となっていると思います。以下筆者の居住地である自治体の環境基本条例の一節を紹介しましょう。

平塚市環境基本条例 《1998年(平成11年)12月16日制定》より抜粋

滞在者の責務

●第7条 旅行者その他の滞在者は、基本理念にのっとり、その滞在に伴う環境への負荷の低減その他の環境の保全に自ら努めるとともに、市が実施する環境の保全及び創造に関する施策に積極的に協力しなければならない。

 

 

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